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2006.03.28
最終回:秘湯 秘湯 秘湯秘湯モデルノロヂオ by ぶんのすけさて、光陰矢の如しとはよく言ったもので、気がつけばもう最終回。 これまでは淡々と1ヶ所づつ紹介する形式をとってきたわけだが、今回は趣向を変え、複数の「秘湯」について言及させていただく。 紹介する予定でありながら、紙幅の都合などの諸事情により果たせなかったものについてリストアップすることにより、いささかでも皆様のご参考になればと思う次第。 以下、順不同である。 「京都タワー大浴場」(京都府) 「京都北白川 不動温泉」(京都府) 「七沢温泉 七沢荘」(神奈川県) 「信玄公隠し湯」(山梨県) 「有馬温泉」(兵庫県) その他、訪れてみたいと思っている温泉は数多くあるのだが、今回をもってひとまず終了とさせていただく。 タイトルに使用した「モデルノロヂオ(考現学)」の基本手法は「観察と統計」である。 考現学の創始者のひとりである吉田謙吉氏が1930年に発表した、「銭湯考現学」という記事がある。 連載コラムは終了となるものの、今後も私は、ますます「物好き」ぶりに磨きをかけて参る所存であるので、いつの日か、その成果をお目にかけられることと思う。 請う、ご期待!! 末筆ながら、今までこのような愚にもつかない駄文におつきあいいただいたことに、心から感謝申し上げます。 それでは、また会う日まで。 →@nifty温泉「京都タワー大浴場」詳細ページへ text by ぶんのすけ | 2006.03.28 | [ 秘湯モデルノロヂオ ] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (2) 2006.03.14第9回:秘湯 崎の湯秘湯モデルノロヂオ by ぶんのすけ早いもので、この連載も残すところあと2回(今回を含む)となった。 探偵小説であれば、そろそろ佳境ということで、悪の組織のボスとの一騎討ちとかをしなければならない頃である。(で、次回が「大団円」) しかし、第1回の冒頭で既に結論を書いてしまっているので、まぁ、あまり細かいことは気にせずに進行させていただく。 いわゆる「秘湯」がその効能を充分に発揮するためには、「物理的」「心理的」の両面において優れたものを備えていなければならないというのが私の持論である。 「物理的」側面とは、すなわち温泉の成分であり、温度である。 では、「心理的」側面とは何か? 人をして「きっと効き目があるに違いない」という予期意向を抱かせる様々な情報がそれである。 情報とは何か?
人は、ガイドブックなどで事前情報を調べて効能に関する期待を高め、現地の環境に接してその意をさらに強めるのである。 今回は、温泉がその「癒しパワー」を発揮する上での「舞台装置」の重要性を改めて感じさせてくれる秘湯をご紹介したい。 例によって前置きが長くなったが、南紀白浜のシンボル的存在であり、太古の趣を今に伝える波打ち際の露天風呂、それが「崎の湯」である。 なんとも風情のある湯船である。 泉質はナトリウム塩化物炭酸水素塩泉とのことで、草津温泉にも似た硫黄の香があり、美しいエメラルドグリーン色、そして海沿いならではの塩からい味わいが特徴だ。 湯触りもなめらかで、美肌の湯と言ってもよいであろう。 第6回の「日本三大古泉」の段でも言及したが、ここは『日本書紀』に記述がある由緒ある古湯である。 以下に該当部分を抜粋。 『日本書紀』巻第二十六 西暦657年9月、いろいろな事情から牟婁温湯(=崎の湯)に湯治に行っていた有間皇子が帰ってきて、斉明天皇(女帝)に激しくオススメしました。 「わづかにその地を観るのみに、病自づから消のぞこりぬ!」 それを聞いた斉明天皇、「そんなに良いところなら、私も行ってみたいわ!」 というわけで、早速翌年10月には旅立って、2ヶ月近く逗留したそうな。 なお、この湯船は往時の姿をよく伝えているとのことだ。 波打ち際まで10mあるかどうかというロケーション。波の高いときは飛沫がとんでくる。 湯船が低いので、まるで海につかっているかのような感覚を味わうことができる。 個人的には、ここと那智勝浦温泉の忘帰洞が「波打ち際温泉」の双璧ではないかと思っているが、崎の湯は露天であるので、さらに自然との一体感が強く、その開放感は他の追随を許さない。 背後の展望施設から丸見えの男湯。 湧出口からとめどなく溢れ出る源泉。 成分が白っぽく析出している。 飲むこともできるということなのだが、なにしろ熱い。86度以上あるらしく、コップを近づけるのも一苦労である。 以前、この湧出口の真下に立ちつくしている老人を目撃したことがある。 流れ落ちる熱湯を浴び続けているわけなのだが、およそ生物が耐えられる温度ではないハズ。まさに生死不明の態であった・・・ さて、この温泉の楽しみはこれだけではない。 ここに来たら、近くの売店で売っている温泉タマゴを食べるのがお約束である。 一般的な「温泉タマゴ」とは逆に、黄身が固まって、白身はやわらかいままという変わりダネである。 「いでゆ反対タマゴ、初恋の味、キッスの味!!」などと書いてある。 初キッスはともかく、とても食べやすくて6個ぐらいはすぐに腹に入ってしまう。 カラ入れと食卓塩が置かれただけのシンプルな店内で、もりもりと食べると明日への活力が湧いてくるのを感じる。 店の前にカメの形をした槽があり、そこにざるに入ったタマゴが浸かっている。 1300年以上にわたって人々に愛され続けてきている「崎の湯」であるが、交通の便があまり良くなく、近所に住んでいるのでない限り、そうちょくちょく訪れるわけにいかないのが悲しいところである。(それ故に、昔ながらの風情を保つことができているのだとは思うが) もし、皆さんが和歌山方面に行くことがあるなら、是非、無理をしてでも入ってみて欲しい。 text by ぶんのすけ | 2006.03.14 | [ 秘湯モデルノロヂオ ] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0) 2006.02.28第8回:秘湯 東京温泉秘湯モデルノロヂオ by ぶんのすけいわゆる「秘湯」は、人跡未踏の山奥にあったりするイメージが強く、総じて地方、忌憚なくいうならば「田舎」にあるものだというのが一般的な見解であろう。 では、都会になればなるほど「秘湯」は少なくなっていくということなのであろうか。 否、断じて否! 日本人の風呂好きは筋金入りであるので、人が大勢集うところに湯があることは、極めて自然なことであると考える。 今回は都会の中の都会の「秘湯」をご紹介する。 都会といえば、まず思い浮かぶのがメトロポリス「東京」。 その東京の中心といえば、皇居や日本国道路原標元標に隣接し、昔も今も交通の要衝である大「東京駅」をおいて他にはないだろう。 100年近い歴史を持ち、一刻たりとも留まることなく膨大を続ける東京駅は、まさに「完成」を知らぬ建造物である。 そんな東京駅の構内に温泉がある、という事実を皆さんはご存知だろうか? 「駅前」ではないのである。「駅構内」正確には「駅の地下」にあるのである。 それも昨今の都市温泉ブームでつくられたのではない。 残念ながら完全には調べきれなかったのだが、昭和4年(1929年)に発行された『新版大東京案内』(今和次郎著)には、既に「新東京名物地下噴泉浴場」が写真付きで掲載されている。 今和次郎氏によると、その「大浴場」は、大規模かつ完全なる換気設備により地下でも新鮮な空気を吸うことができ、洗濯部、食事処も備えていたという。 朝の7時から晩の9時まで営業することにより、夜、旅の疲れを癒すばかりでなく、朝、仕事前に一風呂浴びることもできるのだと。 これは憶測に過ぎないが、駅で働く人たちの利便性も考えて、設計段階で既に地下浴場はつくり込まれていたのではあるまいか。 そういえば、昔、死んだ爺さんが言っていたっけ。 そういえば学生の頃、上京するのに利用した夜行バスのチケットは、「東京温泉」の割引券になっていたようにも記憶する。 「東京温泉」、それは八重洲中央改札口から真っ直ぐ歩くこと数十歩、20秒とかからない場所にある。 八重洲地下中央改札口からは、出てすぐに右を見ると、いきなり入口がある。(青く小さな看板。よく見ないと気がつかない)) 地下からだとすぐ、地上からだと階段を降りていくとフロントがある。 フロントに下足箱の鍵を預けて中に入ると、タテ細いロッカーが並んでいる。 とても大荷物が入るとは思えないので、貴重品と一緒にフロントに預けるのが作法なのであろう。 ロッカーを開けてみて仰天。 浴場は、脱衣所からさらに地下に降りたところにある。 浴槽は、高温湯・寝湯・ジャグジ・水風呂の4種であるが、一番奥に見えているジャグジーの泡立ちぶりは圧巻であった 「温泉」といってもここの湯は一般の水道水であると思われるが、それはリラックス効果をなんら疎外するものではない。 そしてサウナである。 これと外の水風呂に入ることを5回繰り返したところ、体重が1.5kgも減少したのであった。 流れ落ちる湯とジャグジーの泡の大音響を聞きながら湯船で呆けていると、ここが東京駅の地下であるということを完全に忘れ去っている自分に気づくのであった。 (余談であるが、よく銭湯に置いてある黄色い「ケロリン」と書いてある桶は、ここで使われたのが最初とのこと) 湯から上がってバスローブに着替え、休憩室に向かう。 ご覧の通り、それほど広い休憩室ではないのだが、ここで軽食やビールを楽しむことができる。 囲碁・将棋のセットも置いてあった。 そして以下が、東京温泉名物「スタミナジュース」である。 黄緑色の一見不気味なドリンクで、味も極めて個性的である。 レシピ:ハチミツ、卵黄、薬用酒、またたび、人参、セロリ、リンゴ そして以下が「ビタミンジュース」である。 これは色目も鮮やかで、万人受けしそうな味であった。 入浴時間に制限はないので、時間の許す限りくつろぐことができる。 戦後の高度経済成長を担ってきた企業戦士たちは皆、ここで英気を養ってきたのであろう。 それにしても、出入りする客が皆一様に嬉しそうな顔をしていたのが印象深かった。 もはや陳腐化した言葉ではあるが、ここはまさに「都会のオアシス」そのものである。 紙幅の都合上割愛したが、ここのマッサージやあかすりは、色んな意味で感心させられる、まさに熟練の技であった。ここに来たら、是非とも体験されることをオススメする。 なお、東京温泉は残念なことに男性専用である。 text by ぶんのすけ | 2006.02.28 | [ 秘湯モデルノロヂオ ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) 2006.02.14第7回:秘湯 湯布院ノスタルヂア秘湯モデルノロヂオ by ぶんのすけ人は皆、忘れてしまいたいことのひとつやふたつあるものである。 そして人は、それを忘却の彼方へと追いやってしまえるという素晴らしい能力を備えているのである。 それはまた、悩み多き浮世を渡るための必須技術でもあるのだが、ある出来事を忘れたいと思うあまりに、それに付随する良き想い出をも同時に封印してしまうことも、ままあるようだ。 さて、温泉の話に戻るが、湯布院といえば「女性の行きたい温泉No.1」だったりする名湯中の名湯。 かくいう私も、いつも「ああ、一度は行ってみたいなぁ」と思っていたのである。 ところが先日、某テレビ番組で風情ある由布院の町並みを見た瞬間に思い出した。 なんと、私は湯布院に行ったことがあったのである・・・ ※話がややこしくなる前に付言するが、「湯布院温泉」という温泉は厳密には存在しない。 まだ前世紀のことである。 下っ端であった私は、日程調整から予算調整、宿や交通・食事の手配などで、行く前から既に疲労していた。 さて当日、一次会も大過なく終了し、既にワガママな酔客となりはてた集団を引率して宿に向かった。 予算の関係上、宿には無理をいって一人一畳(8畳間なら8人)の相部屋をお願いしていた。いわゆる「ザコ寝」という奴である。 事前に用意しておいた部屋割り表(イビキのうるさいことが判明している人をシフトしただけのランダムなもの)に従って入室していただく予定だったのだが、ここで問題が発生した。 ある参加者の名前が部屋割りリストから漏れていたのである。 単なる連絡上の行き違いであり、頭数で管理しているので宿泊には何の問題もなかったのだが、その参加者がそれを知っておおいにスネてしまい、身を震わせながら「帰る!!」と言い出してしまった。 帰るってアンタ、電車も終わっているし、数百キロもある自宅までどうやって帰るんだよ。帰れるもんなら帰ってみやがれ!と思わないでもなかったが、私は幹事である。無責任な対応は取れない。 居合わせた人に二次会への誘導(数軒に分散)を依頼すると、荷物も持たずに夜道に消えた人物を追いかけた。 幸いすぐに見つけたのだが、呼びかけても振り返りもしない。 その後の二次会で、私はその人にピタリとはりついて、酒を注いだり話を合わせたりして、ご機嫌を取り結ぶことに必死であったことは言うまでもない。 で、完全にご機嫌がなおったのを見届けると、宿の様子を見に戻った。 皆の布団を敷き終わると、私は手拭いを取り出して浴場へと向かった。 見ると、離れのような場所にポツンと明かりが灯っており、どうやらそこがその宿の浴場であるようであった。(浴場は下見していなかった) 木製の引き戸を開け、中に入ると戸を閉めた。 あせった私は外に出ようと引き戸に手を掛けたが、なんということだろう、びくともしない。 真っ暗なので鍵がどこにあるのかもわからない。 しばらく手探りでスイッチや鍵を探したり、戸を押したり引いたりしてみたり、誰か通らないかと格子窓から外をうかがったりしていたが、諦めて温泉に入ることにした。 鼻腔をくすぐる温泉の匂いと湯の流れる音を頼りに湯船を探り当てると、かかり湯をし、そろそろと漆黒の湯に身を沈めた。 なめらかな湯に包まれ、全身の緊張が一気にほぐれていくのを感じる。 ああ、温泉、最高・・・ しばらくすると眼が慣れてきて、辺りの様子がわかるようになってきた。 湯から上がって、ゆったりした気持ちで脱衣場に戻ると、あっさりと明かりをつけるスイッチを見つけることができた。 スイッチをつけ明るくなると同時に、入り口の引き戸の仕組みがわかった。 と、明るくなる周囲。 部屋に戻った私は、朝まで爆睡した。 翌日は流れ解散につき、特に役割もなかったので、由布院の町を駅まで散策した。 風情ある町並みをよく保存してあると感心。 地元の方に尋ねてみると、「観光客に楽しんでもらえて、住民も暮らしやすい」町作りに苦労されているとのことであった。 あのしっとりと落ち着きのある町並みに、ギラギラした観光施設は馴染まない。 どこの観光地も抱えている問題だと思うが、ここ湯布院は、(これまでのところ、)見事に解決してきていると感じたのであった。 2005年10月、湯布院町は挾間町、庄内町と合併、由布市が発足した。 text by ぶんのすけ | 2006.02.14 | [ 秘湯モデルノロヂオ ] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0) 2006.01.31第6回:秘湯 走り湯秘湯モデルノロヂオ by ぶんのすけ皆さん、「日本三大古泉」というものをご存知だろうか? 「日本三大古湯」というものもあり、有馬温泉(兵庫県)と道後温泉(愛媛県)は不動なのだが、3番目が諸説有りということで、白浜温泉(和歌山)、伊豆山温泉(静岡県)、いわき湯本温泉(福島県)などとなっている。 それぞれの初出文献と年度を調べてみた。 上記はあくまでも記録に残っている年度であるので、恐らくはいずれも、もっと古くからあったのであろう。 さて、有馬と道後は現在でも極めて有名であるが、3番目以降は失礼ながら全国的な知名度という点では若干劣っているようにお見受けする。(無論、それと温泉の品質の甲乙とは関係ない) 今回は、この中で(あくまでも個人的に)最もマイナーな伊豆山温泉をご紹介する。 ※好天のおかげでデスクトップの壁紙に使えるぐらい良い写真が撮れ、かつ人物も写らなかったため、今回は生写真を使用します。なお、壁紙にする際は、写真をクリックして表示される拡大画像をご使用下さい。最下段の伊豆大島などオススメです。 そもそも伊豆山温泉とはどこであるか? ここの海沿いに、「伊豆」の語源ともなったといわれる「走り湯」がある。 全国でも珍しい横穴式の源泉であり、山腹から湧き出た湯が海岸へと飛ぶように走り流れ落ちるさまから「走り湯」と名付けられたとのこと。 さながら洞窟のような入り口からは蒸気がもうもうと噴出し、侵入者を威嚇している。 隧道は10m程度と決して長くはないのだが天井が低く、蒸気が充満しているため直立しての歩行はかなり困難だ。 奥の方に見えるのが源泉槽であるが、のぞき込んでみて仰天。 なんという荒々しさだろうか!・・・ 真っ白に蒸気で曇るレンズを必死に拭いながら、なんとか撮影したのが上の写真である。 このさらに奥に、柵で封鎖された「元湧出口」があるのだが、これは高温の蒸気に覆われており、冗談抜きで身の危険を感じたので撮影を断念した。 以下が源泉槽の内部壁面である。 温泉の成分が析出して何層にも累積しており、一種荘厳な情景を現出している。 分析書によるとカルシウムを含んだ塩化物泉であるので、鍾乳洞と同じようなメカニズム(石灰化)でこのような形状になったのであろう。 触れてみると表面はツルツルしており、爪を立ててみても傷つけることができなかった。 そうして山中に湧き出した熱泉は、樋を伝って入り口に向かって走り出ている。 樋の蓋の隙間から湯を味見してみると、とても塩辛くて苦い・・・ かつて(1000年以上昔?)は、この洞窟の出口から先はすぐ海岸となっており、さながらスーパー銭湯の打たせ湯のごとく、大量の熱湯が降り注いでいたそうだ。 海岸沿いの山腹から渚に向かって噴出し続ける熱湯。 ましてや古代の人たちがそこに人智を超えた「神」の存在を感じたとしても、何ら不思議はない。 というわけで、この上には「伊豆山神社」が鎮座している。 因みに、1300年前に伊豆に流されてきた修験道の祖「役の行者」は、走り湯を修行の場としていたそうである。 その後も「斎戒(清め)の場」として時の権力者達にまつられ続け、鎌倉末期以降になってようやく幅広く湯治の場として使用されるようになったようだ。 さて、そんな霊験あらたかな湯治場は、今はどうなっているか? 海沿いに歴史ある大旅館がいくつか建ち並んでいるが、地元の人たちの共同浴場を探してみた。 伊豆山神社の参道入り口付近に発見。 アンティーク調の番台と脱衣場、それほど大きくない湯船が2つのこぢんまりした銭湯「浜浴場」。 地元の方は大人100円、こども50円である。 湯は紛れもなく、先ほど舐めさせてもらった走り湯の、あの味である。 何故、2つあるのかと思ったら、片方は割水して温度を下げてあるようだ。 こんなに安くて本格的な温泉なのにも関わらず、もうひとつあった共同浴場は昨年閉鎖してしまったらしい。 それにしても、風光明媚な温泉郷である。 今回の取材は休日の日中に実施したにも関わらず、ほとんど人間に出会わなかった。 「浜浴場」から真っ直ぐ進むと、すぐに海である。 しばしたたずみ、千数百年前に思いを馳せる。 そもそも「伊豆」は、「湯出(ゆいづ)」が語源であるという。 800年前、悲運の将軍、源実朝がこの地で詠んだという歌がある。 度つ海(わたつみ)の 中にむかいて出(い)つる湯の その頃も今も、この地は変わらず、自然豊かで閑静なところである。 役小角も頼朝も、実朝も見たであろう伊豆大島の勇姿に敬礼。 text by ぶんのすけ | 2006.01.31 | [ 秘湯モデルノロヂオ ] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (1) 2006.01.17第5回:秘湯 綱島温泉秘湯モデルノロヂオ by ぶんのすけさて皆さん、東京に一番近い温泉街は何処だかご存知だろうか? 箱根?いやもっと近くにある。 お台場にある奴?いえいえあれは歴史もないし、「街」というほどのものではない。 「東京の奥座敷」と呼ばれ、一時は100軒近い旅館が建ち並び、300人もの芸者衆がいたという一大温泉街、それが今回ご紹介する綱島温泉である。 若者であふれかえる渋谷駅から東横線で20分ほどいくと、「綱島」という駅がある。 今や、旅館は見あたらず、駅にも温泉に関連する表示はなく、周辺はスーパーやコンビニが建ち並ぶ単なる郊外の町となってしまった綱島。 「なんだ、過去形かよ」とお思いの向きもあろうかと思うが、まぁ、私の話を聞いて欲しい。 温泉はまだあるのである。 そもそも綱島温泉は、1914年に、とある住民が新しく井戸を掘ったところ赤い水が出て、飲み水に適さないと考えて風呂水として使ったら持病(リューマチ)が治ったことに端を発している。 綱島橋のたもとにひっそりとたたずむ「ラヂウム霊泉湧出記念碑」。 もはや誰も顧みることのないこの石碑。横浜市長大西一郎氏の銘あるも、詳細も日付もなく、碑文も薄くなって判読が困難になりつつある。わびしい限り。 綱島駅から徒歩数分、綱島街道沿いにそびえ立つ「東京園」。 真っ赤な煙突もそびえ立つ。 余談であるが、歌手の三橋美智也氏は、若い頃、ここでボイラーマンをしながら歌の修行をしていたとのこと。 入り口で800円支払うと時刻の刻印された半券をくれる。この半券を退出時に提示し、1時間以内だと400円がバックされるのである。 後述するが、ここは「銭湯」の他に「ヘルスセンター」としての機能があり、10時から17時までの間、ゆったりと過ごすこともできるのである。 だが、「風呂しか使わないよ」、という客のために、前述の仕組みが導入されたのであろう。 蛇足であるが、この入り口では餅とか羊羹とか「温泉足袋」とかを買うことができる。 陽光あふれる中庭に面したロビー(食堂?)は、くつろぎの場。 お弁当らしきものを持ち込んでいる人もいるようだ。 ホッピー・ウィスキー(ロック・水割り)各200円、コロッケ60円、たぬきうどん160円、おでん150円・・・ 「銀座の恋の物語」が聞こえてくる。 とてもわかりやすく、赤青に塗り分けられた入り口。 浴場の天井にも♂♀マークが・・・ 湯船は円形のものが中央にあり、立って入る足踏み風呂、電気風呂、寝風呂(結構深くて寝るのは難しい)、泡風呂などが効率よく配置されている。 湧かす前の源泉が入れられた水風呂もある。 コーラを思わせる茶褐色の湯は滑らかで、ほとんど無臭。なめるとかすかに甘味がある。 湯の透明度は極めて低く、10cmより先はもう見えない。 入り口に「医師の指導によりぬるめにしている」「ゆっくり入っていると気持ちよくなってくる」などと書かれた張り紙がある。 差し水用の蛇口をひねると、水道水ではなく温度の低い源泉が大量に出てくる。 布袋さんのようなほがらかなお年寄りがガブガブと飲んでいたので話しかけてみると、「もう70年も飲んでいるが大丈夫」とのこと。説得力有り。 それにしてもロッカーの木札がでかい。 2階は貸し切り座敷が何部屋かある。 カラオケが練習できる部屋もあるようだ。 演芸が披露されている部屋もあった。 そういえば脱衣所で、きっちりと和服を着た男性が番台の人と親しげに話しているのを見かけたが、芸人の方だったのだろうか? それにしてもお客さんの平均年齢が高い。 ざっと場内に100人ぐらい客がいたと思うが、少なくとも半数以上は戦争経験者なのではないだろうか? 脱衣所でのご老人たちの会話を小耳にはさんだが、「昔は焼酎が3銭だった」とかの話がでてくる。明らかに戦前の物価水準であるので、この方たちは80歳以上であると推測できる。 ラジウムが健康に与える効果の科学的根拠はともかく、ここの客たちの尋常ではない高齢お達者ぶりを見ていると、ここには明らかに健康によい何かがあると考えざるを得ない。 風呂に出たり入ったりしながら、気心の知れた仲間(老人会?)と一緒に、一日の大半を楽しく過ごす、というのがここの正しい使い方なのだろう。 こういう地域密着型コミュニティとしての場が、入浴施設の本来あるべき姿ではないのか。 30年ぐらい後、ここの陽だまりでくつろいでいる自分を想像し、ちょっと楽しかった。 text by ぶんのすけ | 2006.01.17 | [ 秘湯モデルノロヂオ ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) 2005.12.27第4回:秘湯 つぼ湯秘湯モデルノロヂオ by ぶんのすけ皆さまは「世界遺産」という言葉を聞いたことがおありだろうか。 では、「世界遺産に登録されている温泉」が日本にあることは、ご存知だろうか。 紀伊田辺と熊野本宮大社を結ぶ参詣道「中辺路(なかへじ)」の途中に位置する湯の峰温泉は、2004年7月、三重・奈良・和歌山の3県にまたがる「紀伊山地の霊場と参詣道」いわゆる熊野古道がユネスコの世界遺産に登録されたことを受け、現役の浴場としては世界初の「世界遺産の温泉」となった。 その中核ともいうべき存在が、標記「つぼ湯」なのである。 本来であれば、いきなり温泉の話をするところなのだが、世界遺産に敬意を表し、熊野本宮大社から語り起こせていただく。 ご存知、熊野本宮大社である。 古今、参詣客がひきもきらない観光名所中の名所であるが、実は、現在の場所に建っている大社は1891年に移築・再建されたものなのである。 本殿から続く石段をおり、車道を渡ってあぜ道のようなところを歩くこと10分ほどで、旧社地付近に建てられた「日本一の大鳥居」につくことができる。 高さ30m以上ある大鳥居。背後に見える木立が、旧社地の一部である。 本来、熊野本宮大社があったと思われる大斎原(おおゆのはら)周辺。 熊野川と音無川の合流地点にある木立に囲まれた中州、それが聖地大斎原だったらしいのだが、今やご覧の通りの単なる河原。 4月の例大祭ではこの場所が会場となるらしく、その時は賑わうらしい。 で、その神事を執り行うにあたって沐浴潔斎する場所、それが湯の峰温泉なのである。 さて、前置きがすっかり長くなってしまった。 上の写真の正面に見えている山々を越え、湯の峰温泉へと続いているのが、熊野古道の一、中辺路「大日越え」である。 杉木立の古道を行くこと約1時間、「湯の峰王子」に到着。 ここから坂を下りると、湯の峰温泉「つぼ湯」の裏手に出ることができる。 小川のほとりに建てられた小屋の中に「つぼ湯」はある。 広さはご覧の通りで、大人なら数名で満員である。底が斜めになっていて、奥の方から熱い湯が湧き出してきているのがわかる。 源泉は92度もあるとのことだが、引き回しているからか、ちょっと熱いぐらいで適温である。(草津温泉と比べてしまうと、どの温泉も熱くて入れないということはなくなってしまう・・・) さて、この「つぼ湯」にはいくつかの伝説がある。 ●1日に7回もお湯の色が変化する。 ●小栗判官が蘇生した。 この「つぼ湯」からちょっと下がったところに熱湯の湧いている「湯筒」と呼ばれる場所がある。 いわゆる温泉玉子なのだが、ここは熱湯なので、あっという間に固ゆで玉子になってしまう。 話は戻るが、熊野本宮大社の旧社地は「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれていた。 熊野大社は、本来「水」への畏敬の念から祀られた社。 温泉で湯垢離し、川で水垢離する。 嗚呼、まさに人類が共有すべき遺産ではないか! text by ぶんのすけ | 2005.12.27 | [ 秘湯モデルノロヂオ ] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0) 2005.12.13第3回:秘湯 砂湯秘湯モデルノロヂオ by ぶんのすけ熱湯系温泉が続いたので、今回は比較的ぬるい湯をご紹介する。 皆さんは「露天風呂番付」というものをご存知だろうか? で、その番付において「西の横綱」とされているのが「湯原 岡山県」なのである。 湯原?どこ?、と大抵の人は思うだろう。 岡山県というと、すぐ思い浮かぶのは瀬戸内海側の倉敷とかだが、どっこい岡山県は、北は鳥取県と接しているのである。(地元の方にとっては当たり前のことだが・・・) 大変な山奥である。 今は米子道が開通し、温泉から4km程のところに湯原ICができたので、随分と便利になった。 さて、入り口である。 以前訪れた時は、すぐ近くまで車で行けたのだが、いつの間にか車止めができていた。 「名泉砂湯」の碑や、冒頭言及した「露天風呂番付」の看板などが立っており、そこからもう露天風呂エリアである。 雄大である。 決壊したらひとたまりもないのでは・・・などと、不安になるほどダムの真下である。 そもそもこのエリアは河原であり、方々の河底から温泉が自噴していたとのこと。 往来する人々が疲れを癒すのはもちろん、連れている牛や馬の類も一緒に入っていたとのこと。 現在の形になったのは80年ぐらい前らしく、ダムが造成された50年ぐらい前には、作業関係の方々によっても大いに賑わったということだ。 この砂湯には、入浴に関するいくつかの「掟」がある。 これには2つの理由がある。 まずは、衛生上の問題である。 そして、湯温の問題である。 はっきり言って下流はかなりぬるいので、こどもたちはプール感覚であそんでいる。 湯がぬるいと、長いこと入っていられるという利点はあるのだが、寒くてあがれないという欠点がある。 脱衣所が湯船からちょっと離れたところにあるので、冬などはそこに至るまでの足の裏の冷たいことといったら、さながら拷問のようである・・・ 上流の「長寿の湯」でちゃんと暖まってからでないと、まずあがれないと思った方がよいであろう。 とはいえ、なんといっても開放感満点の湯である。さすが「西の横綱」である。 ちなみに混浴であるが、妙齢の女性にはちょっと度胸がいるかも知れない。 かつて、深夜に訪れた時のことを思い出した。 真っ暗闇の山中を行くこと久しくして、ようやくたどり着いたのが確か深夜3時過ぎ頃。 眼が慣れるに従い、結構たくさんの人がいることに気がつき仰天。 「ああ、いいところだなぁ」と、しみじみ思ったものである。 細々した世事から離れ、自然の中でおおらかに露天風呂を楽しみたい方におすすめする。 ※写真はちょっと前に撮影したものを使用。今頃はもう雪景色だろう。 text by ぶんのすけ | 2005.12.13 | [ 秘湯モデルノロヂオ ] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0) 2005.11.29第2回:秘湯 百観音温泉秘湯モデルノロヂオ by ぶんのすけ「あそこはマジでヤバイっすよ!」ある知人が熱く語っている。 「何がどのようにヤバイのか?」と問うと、「いや、ほんっとサイコーなんすよ。ひと頃なんて毎週行ってましたからね。」とのこと。 なんでも「人生観が変わる」ほどイイとのことである。 「とにかくヤバイんすよ。入ったり出たりしているうちに、顔がみんな笑ってくるんですよ。「へへへ・・・イイっすね。ここイイっすね・・・」とか言ながら沈んじゃって、浮いてこない奴とかいましたからね。」 ・・・それは確かにヤバイ。 その時は「埼玉県にあるんすよ、久喜の近くっす。」というところまでしか聞けなかった(というか教えてくれなかった)のだが、この@nifty温泉の検索機能を駆使して候補を絞り込み、メールで問い合わせた。 「それって百観音温泉では?」 なんて便利なんだ、この検索機能! 埼玉県の北東部、JR久喜駅の隣の駅が東鷲宮(ひがしわしのみや)駅である。 降りて仰天。 もう夜だったこともあり、燦然と光り輝く「百観音温泉」の文字がまばゆい。 建物に入るとすぐに観音様の像が鎮座している。 たくさんのお供え物がある。温泉が湧いたことへの人々の感謝のしるしだろうか? それにしても、随分たくさんの写真が壁面に貼ってあるなぁ。 よほど嬉しかったのだろう。 おお、本当だ!みんな笑ってる!! 冒頭の知人の話は、まんざら誇張ではないのかも知れない。 期待に胸をふくらませ、いざ入湯。 改装したての大露天風呂。 そして、さすが原泉温度が57度以上あるだけあって、温度計が「44度」を表示している。 「立ち湯」というのがあったので入ってみる。 水風呂がまた絶妙な感じで、冷たいのだが妙に気持ちが良いのだ。 立ち湯の入り口には笠が5〜6個ほどかけてあり、なかなか風流。 体力が尽きそうになってきたので、3回ほど繰り返したところであがった。 後に件の知人に聞いたところ、5回以上繰り返すと冒頭の「ハイ」な状態が現れるらしい。「ランナーズ ハイ」ならぬ「Spa High」とでも名付けたらよいのだろうか? ああ、気持ちよかった!! 2階は食事処になっており、料理など、なかなか美味しそうである。 ・・・が、ここで飲み食いしたが最後、帰れなくなりそうなので断念し、フロントで「百観音温泉」のラベルのついた清酒を買って帰った。 是非、再訪したいと思ったのであった。(是非、宿泊施設も作って欲しい) それにしても、1998年開湯(2005年5月大型露天風呂完成)か。 まだできて7年ちょいである。 私の知っている温泉の中でもダントツの歴史の浅さである。 そんなものを「秘湯」などと呼んでいいのか? ・・・まぁ気持ちがよかったから、細かいことはどうでもいいや。 そういえば、入湯することで私の「人生観」は変わったかのか? text by ぶんのすけ | 2005.11.29 | [ 秘湯モデルノロヂオ ] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0) 2005.11.15第1回:秘湯 草津温泉秘湯モデルノロヂオ by ぶんのすけ
皆さま、はじめまして。ぶんのすけと申します。このたび、本コラムを担当させていただくことになりました。駄文をこねくるのが趣味の、単なる物好きなオッサンです。 さて皆さま、そもそも「モデルノロヂオ」とは何でしょうか? では「考現学」とは何でしょうか? 当時、柳田国男氏と共に民俗学的立場から地方の民家研究などに携わっていた今和次郎氏が、その興味・研究の対象を現代風俗に移したことに端を発する独特の手法および態度の総称であります。 ・・・とか書くと何だか小難しいですが、要するに「物事の「現在」の姿を見つめて無邪気に面白がる姿勢」、といった程度にお考えいただければと思います。 さて、では「秘湯」とは何でしょうか? 故に、本コラムにおける「秘湯」とは、「私が効能を実感できた温泉」とさせていただきます。ちっとも「秘」ではない有名どころが出てくることになるかと思いますが、そこはご愛敬。m(_ _)m 温泉というのは、実に不思議なところです。 いわゆる温泉療法については、専門家の皆さまにお任せしたいと思うのですが、ただのオッサンである私でも確信を持って言えることがあります。 人間には心と体の二つの側面がありますが、「効く」温泉は、そのどちらに対しても納得のいく仕組みを備えています。 早速ではございますが、具体的にご紹介して参りたいと思いますので、皆さまどうぞよろしくお願い申し上げます。 ※なお、本文は「である」体にて記述させていただきます。あしからずご了承くださいませ。 天下の名湯、草津の湯である。 何が名湯って、これほどキャラの立った温泉もないのではないか。 なにしろ「恋の病」以外の全ての病に効くと謳われているのだから、病院顔負け、薬事法もびっくりである。 過去に、もう何回も訪れているが、いつ来ても良いところである。 もっと近くに住んでいればしょっちゅう行けるのになぁ、と思ったりもするのだが、聞くところによるといわゆる「転地効果」(環境を変えることで健康増進する効果)を得るためには少なくとも日常生活圏から100kmは離れなけらばならないとのこと。 これは例えば東京駅を基点とした場合、東は銚子、南は熱海、西は甲府、北は赤城山ぐらいの円となる。う〜む、ちと日帰りは無理か・・・ というか、「日帰り」とか考えている段階で既に気ぜわしく、全然ダメだなぁと思う今日この頃。(-_-;) 話がそれた。草津温泉である。 このところ限界に達しつつあった「人生の疲れ」を癒すべく、久し振りに訪れた。 町に入る手前辺りから漂っていた「硫黄臭」(いわゆるタマゴの腐ったような臭い)はいよいよ濃くなり、草津温泉の中心地である「湯畑」で頂点に達する。 「湯畑」は温泉からその成分を取り出して「湯の花」を採取する設備なのだが、いつ見ても圧巻である。エメラルド色のお湯を満々とたたえたお湯の畑。ここだけで1分間に4000リットルもの源泉が湧出しているとのこと。 もうもうと立ち上る硫化水素含有の湯気に身をさらせば、気分はもう「湯けむり旅情殺人事件」である。 硫化水素ガスは、濃度が高くなると「即死」するほどの毒ガスなのだが、このぐらいの感じだと、むしろ心地よく感じ、「ああ、草津に来たなぁ」という旅情をもたらしてくれるのである。 湯畑に隣接する小屋のような建物が「白旗の湯」。無料であることもあり、草津に来たときは真っ先に入ることにしているところである。 「白旗の湯」の源泉は、湯畑とは違うのだが、すぐ真上にその源泉があり、そこから真っ直ぐひいているのでとても新鮮?なのである。(直線距離で50mちょいか?) いわゆる共同浴場で、屋内には、5人も入れば一杯になってしまうような湯船が二つある。 源泉は最初は無色透明なのだが、だんだんとエメラルドグリーンの色がついてくるのである。 10年ほど前に改築され、ひなびた風情がかなり薄れてしまったものの、木の樋を通じて流れ落ちてくるなんとも「濃ゆい」お湯の感触は変わることがない。 地元の方に何度あるのか聞いてみる。源泉で50度、そこから引き回しているので、46〜48度はあるのではないかということだった。そうとう熱湯好きの江戸っ子でも、そうそう耐えられる温度ではない。 この湯の入り方にはコツがある。頭までお湯をかぶってから、一気に肩までつかり、微動だにしてはいけないのである。わずかでも動くと痛みにも似た熱さを感じることになってしまうのだ。 で、3分は我慢する。で、一気に飛び出し、わめきちらしたいのを必死に堪えながら、湯端で身体をさます。以下、繰り返し。 激しい緊張と弛緩の連続。だんだんと気分が朦朧と、もとい陶然としてくるのを感じる。 湯端に座り込み、ゆだった身体がゆっくりと緩んでいく快感を味わう。 胸一杯に湯気を吸い込みながら、ちょっと離れたところにある「大滝乃湯」の「あわせ湯」システムのことを思い出した。50度以上ある源泉を、樋で5つの浴槽に引き回すというもので、源泉から遠くなるほど一番ぬるくなるという仕組みになっているのである。 以前、その一番熱い奴(50度近かったか?)に必死に心頭滅却しつつチャレンジしているオッサンがいた。あまりの熱さのため、他に入っている人はおらず、真っ赤な顔をして肩までつかっているその姿はさながらユデダコ。死ぬんじゃないか?と思い様子を見守っていたのだが、そこへ鼻歌交じりに事情を知らないオッサン登場。 オッサン、ちょこっと手を突っ込むなり「あちっ!」と口走り、置いてあった混ぜ板でユデダコオッサンのすぐ横をガンガン混ぜ始めた。 たちまち精神統一が崩れて、ぐえっともぐわっともつかぬ叫びをあげつつ湯から飛び出すオッサン。 ・・・などと回想し、ヨダレを流しながら思い出し笑いなどしている姿は、傍目にはかなり異様に映ったに違いない。 もう何回出入りを繰り返しただろう。もうさすがにこれが最後と決め、あがる。 なんと1時間以上も入っていたことを知り、衝撃を受ける。せめて30分ぐらいの感覚だったのだが・・・ 外は日が暮れるともうかなり寒いのだが、しばらくは汗が止まらないほど温もった。私の「効く」温泉の判断基準のひとつに「湯上がりにヒザが抜ける」というのがあるのだが、この温泉もまさにそれで、ヒザが完全に脱力してカクカクした。実に良い気分である。 湯畑で取れた「湯の花」、温泉タマゴ、温泉まんじゅうの「お約束」3点セットを購入し、草津をあとにした。 それにしても、いつ来てもこのお店は通行人全員にアツアツのまんじゅうを配布しているなぁ。カットしていない丸々一個を惜しげもなく、どんどん配っている。通り過ぎる車まで呼び止めて、運転席にまんじゅうを差し入れていたのを目撃。凄い・・・ 以前、店の前を5往復して、その度にまんじゅうをもらって満腹になったのは何を隠そう、私である。 草津の湯はphが2を切るほどの強酸性であり、五寸釘を10日で完全に溶解してしまうという。 そんなところに人間が入るとどうなるか。文字通り「一皮むけて」しまうのである。一頃「ケミカルピーリング」なる美容法があったように記憶しているが、それを地でいくようなこの温泉。 殺菌力も極めて強く、細菌感染系の病に顕著な効能があろうことは推して知るべしである。 ニキビやできものの類は、それこそあっという間に直るし、体臭も消え失せてしまう(そのかわり硫黄臭がするようになるが・・・)。 抗生物質とかがなかった昔は、それだけでかなりの病気が治ったのだろうなぁと思う。 それにしても、ハードな温泉である。 昔ながらの湯治法は「時間湯」と呼ばれるもので、「44〜48℃の熱い湯を、湯長(ゆおさ)の号令で草津節を唄いながら板で“湯もみ”して温度を下げ、かぶり湯をした後、3分間の入浴。これを日に3〜4回、1週間ほど繰り返す」とのこと。 「病気が治る」以前に死んでしまいそうなプログラムである。少なくともかなり体が丈夫でないと耐えられないだろう。(実際、皮膚の柔らかい部分がただれてくるらしいし・・・) そこで思った。これは逆療法の一種なのではないかと。丈夫でないと到底耐えられない行為をすることで、遂には健康を取り戻すことを狙ったのだろうと。これに耐えられなかった者は亡くなり、耐えられた者は病を克服するというスパルタ式の入浴法だと。(江戸時代の湯治客は、開始前に「死んだら埋めてもらって結構」といった誓約書を書かされたらしい) 3日もやれば、恐らく「人生に疲れ」ている余裕などすっ飛んでしまうに違いない。 ふと見ると、前日足首を捻挫してできたばかりだった赤黒い長さ15cmほどのアザ(というか内出血のあと)が、ほとんど消滅しているではないか!凄い効き目だ・・・ ・・・「恋の病」も治るんじゃないか? text by ぶんのすけ | 2005.11.15 | [ 秘湯モデルノロヂオ ] | 固定リンク | コメント (8) | トラックバック (0) |

